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2012年06月11日

法事難民

「ごえんさん」になって6年目に入りました

まだまだ「ぼんちゃん」と呼ばれる方がしっくりくるのは
陰で支えてくれる親のおかげだと近頃よく思います


「家族葬」や「香典お断り」などと言われて久しくなりました


世間との付き合いやお寺との付き合いまでもが面倒になり
親が築いてくれた尊い「ご縁」を切ることが
それほど不思議ではない感覚になってきました


またお寺では色んな問い合わせがあります

「お葬式」をしてくれるお坊さんは紹介してくれるそうですが
「法事」をしてくれるお坊さんは殆ど紹介してくれないそうです


近頃の流行り言葉を使うならさしずめ
「法事難民(ほうじなんみん)」というところでしょうか


浄土真宗において葬儀式とは

 人生最後の大切な別離の儀式であるから
 厳粛に執行すべきもの

であり

さらに法事も含めてその意義は

 故人に対する追善回向の仏事や単なる告別の式ではなく
 遺族・知友があいつどい
 故人を追憶しながら人生無常のことわりを聞法して
 仏縁を深める報謝の仏事

とあります


またお参りをしていると
テレビや雑誌でよくみる「仏教入門」を自分勝手な感覚で取り入れて

悟りを得たような門徒さんのお話を聞いたときには
本当に恐ろしかったことを覚えています


挙げ句にはお寺のサービス向上を求められる始末です


親鸞聖人の求められた「生死出ずべき道」とは

比叡山の厳しい修行のなかで法然上人に教授されました


生老病死という漠然とした四苦八苦だけでなく
様々な人間の抱える苦しみからの解決の道なのです


そこらの学者が知ったような次元ではないことは確かです


つまり
聖人の求められた「生死出ずべき道」とは

阿弥陀仏の本願であり
その本願こそが真実の教えであると頂いたのであります


自分勝手な感覚で仏教を論じていることすら気がつかない私を
それでも「そのまま救う」ことこそが
阿弥陀仏の本願であるというのです


 悲しきかな愚禿鸞
 愛欲の広海に沈没し名利の太山に迷惑して
 定聚の数に入ることを喜ばず
 真証の証に近づくことを
 快しまざることを恥ずべし傷むべしと


もう成仏することが決まっているにも拘わらず
それを喜ぶことも楽しむこともできない

なんとも恥ずかしく嘆かわしいと
聖人は言い遺してくださいました


親も親なら 子も子・・・

親の元気なうちに色々聞いておきたいものです

法事難民

プライバシーのため加工しました


もうすぐ全国大会があるので現地調査に行きます



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Posted by かんべ at 23:28│Comments(0)育児
 
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